2011年3月ー。
この月は今後永遠に人々に記憶されるだろう。
そして、
僕、個人としても忘れられない月になると思う。
大学院に受かった?
そう、それも2011年3月。
失業保険支給終了?
そう、それも2011年3月。
(これはこの先もう何回か経験するかも。。。)
僕にとって2011年3月は、21年間連れ添った愛猫ペロ(メス)
との別れとして記憶されると思う。
僕たちが出会ったのは僕が小学校2年生の時。
野良猫を僕が拾ってきたのだ。
与えたおにぎりを銀紙ごと「ぺろっ」と食べてしまったので、
「ペロ」と名付けた。
ペロ↓
ちなみに一緒に食された銀紙はペロの消化液にさらされながらも、
純銀のインゴットのような「銀色のフン」となり、再び日の目をみた。
この出会いの顛末をしたためた作文は区のコンクールで入賞までしてしまった。
そこでテングにならなかったら、
もう少し協調性のある大人になっただろうに。
それからあっという間に21年の時が流れてしまった。
会社を辞めて、実家に戻った僕。
毎日毎日、家に引きこもって勉強をしていた。
家には僕とペロふたりだけ。
お互い、ニート同士、相通ずるものがあった。
でも、人間で言えば100歳超のご老体。
粗相が増えたり、ジャンプが出来なくなったり、夜泣きをしたり、
「老い」が目立つようになっていた。
自然、介護の場面も増えていた。
朝起きて、一番にすることがペロのおしっこを拭くことだった。
正直、小憎らしく思うこともあった。
「早く逝ってしまえ」とさえ思っていた。
3月1日。
朝、いつものようにおしっこを拭いて、エサをあげて、
僕は珍しく外出をした。
夕方帰宅すると、リビングから尋常でない鳴き声が聞こえた。
「あれ、朝エサあげなかったっけ?」
なんて、おなかが空いているだけだろうと思って自室へ入った。
しばらくすると母が帰ってきた。
「ちょっと来て!」
強い口調で呼ばれる。
「あれ、なんかばれたかな?」
思い当たる節は山のようにあるので、「どれだ?」
と、訝りながら居間へ。
、、、
もう、ペロは旅立っていた。
普段はポコポコ膨らむお腹が、まったく動かない。
目も口も少し開いてしまっている。
母の慟哭を背中で聞きながら僕はペロに手を当てた。
まだ、ほんのり温かい。
そして、目と口を閉じてやった。
連絡を受けて急遽帰宅した父も妹も、ペロの前で号泣していた。
父が声を上げて泣く姿なんて初めて見たのでショックだった。
翌日、ペット葬儀屋に連絡をして火葬をしてもらった。
焼き場に入れる時に持ち上げたペロは氷のように固かった。
枕代わりにして寝るくらいホワホワだったのに。
ペロが逝って、家の中は火を消したように静かになってしまった。
母は数日会社を休んでいた。
居間へ行くと、無意識のうちにペロが寝ていた場所を見てしまう。
あんなに小さな体で、家族4人を支えてくれてたんだなと、
いなくなってから気付いた。
僕は泣いていなかった。
目を閉じた時も、火葬の時も、僕は泣かなかった。
僕が泣いたのは、数日が経過してからだった。
何気なく、googleに「ネコ 最期」と打ち込んでみた。
「ネコって死ぬ時は飼い主から隠れて死ぬ」っいうよな、なんて思いながら。
表示されたページには、
「家の中だけで飼われていたネコは隠れない。むしろ飼い主の目の前で息を引き取ろうとする。」
とあった。
その瞬間、僕の頭の中で、ペロの鳴き声が響いた。
・・・
「呼んでたんだ。あの時、最期を看取って欲しくて俺を呼んでたんだ。」
そう思い至ると、涙が溢れ出てきた。
「なんで行ってあげなかったんだろう。」
後悔ばかりが募った。
実は、3月1日は両親の結婚記念日でもある。
寂しがりやのペロだから、自分が逝った日を忘れて欲しくなかったのだろう。
それから3ヶ月。
我が家に新しいネコがやってきた。
名前はタロウ。
ペロがいなくなって、震災が起きたりで、
食事時もなんとなく雰囲気が暗かったのだけど、
タロウが来て数日。
格段に家族の会話が増えている。
みんなの帰宅時間も早くなった。
ありがとう、ペロ。
タロウ、これからもよろしくね。
おはこんばんちは。
返信削除たまっちゃんです。
ブログ開通おめでとう!
一通り読ませてもらったけど、いつものかっこつけ野郎はいないみたいだね。
だって、聞いた内容と正反対の想いばっかだもん(笑)
背景の青空のように、このブログからリアルなきみが覗けるのを、これからも楽しみにしてます。
では、また!
かっこつけ野郎って?
返信削除まぁ、リアルは君と酒を傾けてるときが一番だよ。
コメントありがとう。